停滞した歴史を振り返る2

2012年を振り返るのは難しい。

言うまでもなく基礎は積むことにあった。3~4月では家族の大切さ、生活力、性、孤独といったことがテーマだった。宗教にも手を伸ばした。

5月はその延長での深化。服や睡眠に対するアプローチもあった。生活をやりたい方向へ流していく実験か。その途中、6月あたりにあの申請のこともあったな。生きるということをどの方向に向けて、どう統合するかという課題がここで存在していた。ここの解決は東京に持ち越しになった。でも親はよく信頼してくれたな。

 性や生活の総括が深化していくうちに、6月7月は混乱し始めた時期になる。結果的に積むという原点を念頭に置き、深化を目指した。ただそれは前述の、必然的な統合の解除へつながり、結果的に代償としての精神的なダメージは蓄積されていった。睡眠や性や生活や金を深く見つめなおした結果、生活はバラバラに壊れた。これは大きかったな。でもそれが教育なんだ。絶望的なレベルでの生活を解体せずに、本当に積むなんてことはありえないのだから。

そこに7月終わりからの肌の状態の悪化がやってくる。例のニキビができた。とにかく生活を壊した。病院に行くためだけに横浜に行った。盆あたりには広島に旅行も行った。その後8月の終わりに例のニキビ再発。9月には正体不明の大量の虫さされが起きた。一気に深化が進んだな。歌、サプリ、家電、オークション、経済、笑い、キーボード、嘘、金、DVDなど色んなものに手を出した。AHKもあったか。酷い顔で野球を見に行ったりした。

 10月の初め、10月の終わり~11月12日あたりまでに小さなイベントが散発的あった。人に会える肌のレベルでいうと、ギリギリだったな。

 12月に沖縄行きがあった。ここで自己愛が溶けて行っているのを確認する。

1月に大きな転機がやってくる。模索の中で皮膚病について大きな前進をした。プログラミングを集中してやった。

 2月までの評価は難しい。ここで本当に積むということを深化させていったのは事実だったが、segregationのダメージは確実に大きかった。ただ、普通の人生を歩んでいると体験できないようなことを山ほど体験したのは事実だ。その基礎的なフォーマットは確実に今現在も生活に入り込んでいる。